青海神社 Aomi Shrine 加茂市



(起源)

旧県社で、加茂市街のすぐ南側、加茂山の北側にある。青海郷を開拓した青海首一族は、郷内氏子の護り神として神亀3年(726)に祖神椎根津彦命と大国魂命をまつる青海神社を加茂山の山麓に創建したといわれる。
桓武天皇の延暦年間(782~800)に京都上賀茂神社の別雷命と、同じく下賀茂神社の加茂建角身命と玉依姫命の3神の分霊が合祀され、青海神社(椎根津彦命と大国魂命)、賀茂神社(賀茂別雷命)、賀茂御祖神社(多多須玉依媛命と賀茂建角身命)の三社本殿が合殿された。これが「加茂」の地名の由来になったといわれる。
中世から近世には、上杉氏が厚く庇護し、新発田藩主溝口氏に至って社領の寄進、本殿等の造営をするなど、加茂地方の人々の信仰を集め、加茂の総鎮守として栄えてきた。
御祭神の玉依媛命は、川で拾った丹塗りの矢を置いていたところ、賀茂別雷命を身ごもった伝説から、子授けや安産、子守の神様として知られる。

(境内)

石段を上った高台に、老杉に囲まれて本殿・拝殿などが立つ。本殿は延文2年(1357)の建築と伝え、拝殿には見事な鳳凰・龍の彫物が施されている。拝殿右手の本殿へ通ずる廊下は、歩くたびに音がすることから、“鶯渡りの廊下”、と称されている。
社宝としては、昭和15年(1940)、境内の経塚から出土した刀子一口、藤双鶴文鏡、治承2年(1178)在銘の銅製経塚がある。
神域の、加茂山一帯約40万㎡が、加茂山公園として整備されており、樹齢数百年の巨杉の間をゆく遊歩道が開かれていて、市民の格好の散歩道が開かれており、青海神社は古くから「加茂のお明神さま」と広く親しまれている。
昭和36年(1961)9月16日に襲来した第2室戸台風により、大杉が約200本も倒れる大被害を受けたがが、今なお亭々たる老杉に囲まれている。
山中には、県木ユキツバキの群落もある。頂上からは、新潟平野・弥彦山などが一望できる。

(例大祭)

「加茂まつり」は春、秋の2回あって、春はご神幸、秋は花火の打ち上げがあり、昔から加茂を代表とする行事となっている。
春季祭礼として、「加茂まつり」が5月下旬の3日間開催される。「御神幸式」と呼ばれる行列は、古く室町時代の記録にも出てくる。
猿田彦をお先払いに、旗持ち、ご幣、笠鉾、長柄笠、鉾、弓、矢、宝剣、長柄、挟み箱、長持、太鼓、三社の神輿、麻袴姿のお供、そして最後に神職と、絵巻物を繰り広げるように、行列は約6キロメートルの行程を練り歩く。行列は神社を出発、加茂市内大通りを渡御、秋房で折り返して矢立、御神事場で神事の後、加茂駅前を通って神社へ戻る。
更に行列の最後に、安産の神である加茂御祖神玉依姫命に安産であったお礼と、子供がすこやかに育つことを祈って、生後満1年未満の乳児に産衣を着飾って、抱いたり、おぶったりした婦人たちがお供をする。春の例大祭は、別名「乳母まつり」とも呼ばれている。
8月31日、9月1日と秋季祭礼が行われており、宵宮の31日は商店街に100店もの露店がずらりと並び、午後8時から奉納花火が打ち上がり、8時半から拝殿では宵宮祭の神事が行わる。


🌌加茂山公園

🌌加茂まつり(乳母祭り)






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日本料理 貴布禰 (きふね) 加茂市 穀町 10-4 懐石・会席料理、うなぎ、和食(その他)