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北国街道 Hokkoku Kaido (Northeast Coast Highway)



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佐渡金銀山と江戸を結ぶ佐渡三道の一つとして北国街道が整備され、出雲崎以北の浜通りの整備が進められた。新潟湊が発展すると、新潟町までを「北国街道」と呼び慣わせるようになったといわれる。
上杉氏がが本格的な領国形成に向かう中で、すでに、浜通りが新潟向かう通りとして利用されていた。永禄11(1568)年に阿賀北の本庄繁長が武田信玄と結んで挙兵した際、上杉謙信は春日山城から柏崎・出雲崎を通って、弥彦神社に参詣し、新潟に向かった。
出雲崎以北の北国街道

新潟 ⇒ 赤塚宿 ⇒ 稲島宿 ⇒ 岩室宿 ⇒ 弥彦宿 ⇒ 寺泊宿 ⇒ 出雲崎宿

新潟宿

信濃川の河口に開けた新潟は、日本有数の米の集積地として、東廻り・西廻りの海運が発達した。江戸時代後期には「川湊では日本第一」といわれた港町である。
  • 嘉永5年(1852)2月14日、長州の思想家吉田松陰が新潟見物の後、内野・赤塚・稲島を経て岩室に到着。翌日は、彌彦神社を参拝して寺泊・出雲崎へ向かっている。

赤塚宿

集落内には枡形が残されている。赤塚からは四ツ郷屋-五十嵐ー関屋を通る浜通りと、谷内ー中権寺ー内野を通り、西川沿いに大野ー坂井ー平島-関屋み向かう中通り道があった。宿の本陣は中原家が勤めていた。(👉中原家住宅)

🌌松野尾道標 ※GOOGLE 画像

赤塚宿から稲島に向かうと、松野尾に「右やひこ道」の道標がある。「右はやひこの道標」は新潟から弥彦神社へ参詣する人のために設置されたものと言われる。

稲島(とうじま)宿

桑原家が本陣を勤める宿場町で、3軒の宿屋と茶屋があった。新潟を早立ちした旅人たちの一日の行程は弥彦まで、その中間点にあたる稲島宿は昼食休憩の場としてにぎわったといわれる。
明治6年(1873)、稲島の宿場が廃止され竹野町に移って幹線道路から外れると、旧街道筋は村人たち以外はめったに行き交う人もなく、ひっそりとした、たたずまいのみが残った。
街道沿いの由緒ありげな民家や集落周辺は街道の宿駅としてにぎわった往時の風格を残している。また周囲には歴史を秘めた寺や古墳、城跡等々、史実・伝承の跡を豊かにいろどっている。集落内の通りには防御用の枡形が今も残っている。

🌌枡形 ※GOOGLE 画像

集落内の通りには防御用の枡形が今も残っている。この辺りの道は、古い街道の面影を偲ぶに相応しい。

本間屋の柚餅子

14代将軍徳川家茂に献上され、長岡藩の御用菓子屋に任命された。

🌌平沢清水(※詳細はこちら) ※GOOGLE 画像

🌌伏部道標 ※GOOGLE 画像

ひっそりとした家並み、集落の南端、竹野町へ至る里道の三叉路に建つ「右はやひこ道」の石の道標が往時を偲ばせている。「右はやひこの道標」は新潟から弥彦神社へ参詣する人のために設置されたものと言われる。

🌌三根山藩址公園 ※GOOGLE 画像

1634年(寛永11)に牧野駿河守忠成が四男定成に蒲原郡三根山の新墾田6000石を分与し、分家させたのに始まる。1863年(文久2)、時の領主忠泰が高直しにより11000石の三根山藩として立藩し定府大名となった。藩庁は三根山陣屋に置かれた。(☛ 詳細)

🌌景清寺 ※GOOGLE 画像

景清寺縁起によれば、平景清の家来が奥州平沢へ下る途中、この地で馬が死んでしまったので、地名も同じ平沢というのも何かの因縁であろうと馬を埋めて庵を結んだという。境内には大ケヤキがあり、これは、その時、その馬の墓の上に植えたものであるという。
  • 〔宗派〕 浄土真宗 大谷派
  • 〔所在地〕 新潟市西蒲区平沢455
  • 〔問い合わせ先〕 0256-72-7502

🌌弘法清水 (※詳細はこちら)


岩室宿

当時をほうふつとさせる街並みが現存する。

岩室温泉


灯りの食邸 コカジヤ URL

百年以上の歴史ある古民家を利用して造られた店内には遠い昔から人々が集い賑わっていた暮らしが垣間見える。座敷の一角からは四季を映す庭を眺めることができ、秋には紅葉と共に食事を堪能できる。岩室や弥彦の食材をフル活用したメニューは毎日内容が変わる。

🌌石瀬代官所跡 ※GOOGLE 画像

石瀬には江戸幕府・与板藩(牧野氏)の代官所が置かれていた。

🌌天神山城跡 ※GOOGLE 画像

もともとは室町~戦国時代の豪族小国氏の本拠で、城跡残る。街道は種月寺山門前を通っていて、小国氏は街道とその東を北流する矢川の水運を押さえていたといわれる。

🌌種月寺 ※GOOGLE 画像

小国氏とゆかりの深い寺である。

弥彦宿

街道は社家町・神域を避けて木戸口から右折し、さらに左折して北の木戸口をかすめて通っている。
  • 元禄2年(1689)7月3日に、松尾芭蕉一行は新潟町から徒歩で弥彦へ向かい、午後5時に着いて彌彦神社を参拝したという。(👉松尾芭蕉)
  • 文化11年(1814)8月末、 十返舎一九は弥彦神社に訪ねたと『諸国道中金の草履』に記載している。
  • 嘉永5年(1852)2月15日 、長州の思想家吉田松陰が弥彦神社に参詣している。

🌌黒滝城跡 ※GOOGLE 画像

戦国時代には街道を押さえる要衝として上杉氏が直轄していた。

🌌弥彦神社 ※GOOGLE 画像

越後一宮として、多くの人々が参詣に訪れた。

寺泊宿

寺泊は古代より佐渡への渡海点であり、順徳上皇や日蓮もここから船出した。近世には佐渡三道の一つ三国街道の終点となった。また、北前船の寄港地としても栄えていた。
  • 元禄2年(1689)7月4日、松尾芭蕉一行は寺泊の西生寺を詣でた。
  • 文化11年(1814)8月末、十返舎一九は『諸国道中金の草履』によれば弥彦を過ぎた後、波打ち際を3里(約12km)歩いて寺泊に着いたとある。

🌌白山媛神社 ※GOOGLE 画像

寺泊の総鎮守。奉納された52点の船絵馬が収蔵され、国の民族文化財に指定されている。

🌌西生寺 ※GOOGLE 画像

弘智法印の即身仏で有名で、松尾芭蕉や良寛・鈴木牧之らも訪れている。









宿マップ






北国街道を歩く

北国街道を歩く

  • 作者:岸本豊
  • 出版社:信濃毎日新聞社
  • 発売日: 2010年03月


北国街道殺人事件

北国街道殺人事件

  • 作者:内田康夫
  • 出版社:徳間書店
  • 発売日: 2016年10月07日頃













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