小滝川ヒスイ峡 Kotakigawa Jade Gorge 糸魚川市
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姫川の支流、小滝川の上流に小滝川渓谷はある。小滝川渓谷は新潟富山県境飛騨山脈の犬ヶ岳(1593m)、長栂山(2075m)、黒負山(2069m)に源を発する小滝川の作る渓谷である。上流部は主として中生代の砂岩、粘板岩互層からなり、下流部は明星山石灰岩を含む石炭・二畳紀の地層から構成されている8kmの間を高度差500mを急流が一気に下る。 急流によって両岸が深く削り取られ数百mの断崖をなしている。また本流に合流する各支流は滝あるいは、それに近い急流となっている. ゴツゴツとした大岩壁が落ち込んだ渓谷と清流が成す、雄大な景色は一見の価値があり、多くの観光客が訪れる。 昭和31年(1956)に国の天然記念物に指定された『小滝川硬玉産地』は、姫川の支流「小滝川」に明星山の大岩壁が落ち込んだ川原一帯を指し、日本随一ともいえるヒスイの産地「小滝川ヒスイ峡」として広く親しまれている。 国道148号の小滝から、小滝川沿いの道を奥へ入る。谷は次第に深くなる。鋭いV字谷が見えてくる。対岸の切り立つ大岸壁が明星山(1188m)である。全山石灰岩で白い。南斜面は700mの断崖をなし河川の浸食のすさまじさを見せている。岩登りのゲレンデというが驚異である。 道路を登り切った所に展望台がある。深い谷底へは下りられない。ここから眼前の明星山の偉容と青白く光る小滝川渓谷の素晴らしい景観を楽しむ。 昭和初期までは、日本の遺跡から見つかるヒスイも外国産だと考えられていたが、昭和13年(1938)に、日本で初めて小滝川でヒスイが見つかった。 現在では、日本の遺跡から見つかるヒスイは、すべて糸魚川地方から産出したものとされている。(案内図) 姫川のヒスイ「翡翠」は中国では元々カワセミを指す言葉であった。雄が翡、雌が翠といった。ヒスイ玉がカワセミのその美しい羽の色に例えられ翡翠玉と名づけられたという。日本にはヒスイ(硬玉)の製品が、縄文時代の中期・後期・晩期に、石川県以東の東日本中心に多く出土した。身分の高い人物の装飾品として使用されたが、その後、日本人はその存在を忘れ去ってしまった。 「翡翠」が日本人の関心を引くようになったのは、一千年以上の後の室町時代以降といわれる。「翡翠」という言葉と共に、中国から輸入されたものであった。 古代人が、ヒスイの原料をどこから入手したかが、考古学の論議の的となっていた。地質鉱物学界では、ヒスイは、国内に産出しないことになっていた。 糸魚川市小滝の姫川の支流小滝川を上流へ5キロ遡ると、明星山(1189m)の絶壁が目の前に迫って来る。ヒスイ産地はこの岩壁が落ち込んだ清流にある。 延長200mにわたって高さ5メートルを超す巨岩が河床にごろごろしている。約4億年前に低温、高圧の地下20㌔で岩石が変成、大規模な地殻変動で地上に持ち上がってきたのである。 小滝川はミャンマーのカチン高原、グアテマラのモタグア谷と並ぶ世界有数のヒスイ産地の一つに数えられ、緑石岩や蛇紋岩、石灰岩など三十数種類の岩石も間近に観察できる。 学術的にヒスイ国産説を支持する端緒となったのは、小滝村野口の伊藤栄蔵氏である。伊藤氏は、親交深かった相馬御風の「沼川(奴奈川)姫がヒスイの首飾りをしていたとすると、そのヒスイはこの地方の産かもしれぬ」という教示を得て、小滝川を探索し、昭和13年(1938)8月、土倉沢の滝つぼで原石を発見した。 その標本を、東北帝大地質学の河野義礼博士に届け、博士は、昭和14年(1939)、小滝川硬玉の分析とその化学性質を学会誌に発表し、大陸から持ち運ばれたとする定説を覆した。ヒスイ発見は鉱物学だけでなく、考古学にも衝撃をもたらした。紀元前4000年の世界最古のヒスイ文化が実証された。古代人に装飾品として愛用されたヒスイは、この地から全国に行き渡っていったことも明らかになった。 小滝川が、ヒスイの原産地として世に知られると、乱掘する者も現れ、昭和25年頃には、トラックで乗り付け採取されていたといわれる。保護の運動も高まり、29年(1954)に、県の文化財に、昭和31年(1956)に国の天然記念物に指定された。 |
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ヒスイ峡・明星山大岸壁 展望台
ヒスイ峡遊歩道入口
休憩所
明星山登山口

