北国街道 Hokkoku Kaido (Northeast Coast Highway)
新潟宿 赤塚宿 稲島宿 岩室宿 弥彦宿 寺泊宿 出雲崎宿 鉢崎宿 潟町宿 黒井宿 高田宿 新井宿 関川宿北国街道は、古くからあった信濃から越後へ通じる街道を戦国時代、上杉謙信と同景勝が、上杉勢の信濃侵入という軍事目的で整備したものであった。当時は越後春日山から牟礼・長沼を通り松代にいたる道が主道とされた。 江戸幕府により五街道整備が進められると、これに次いで北国街道の宿駅設定も始められ、慶長16年(1611)にはほぼ確定したと考えられている。佐渡で産出された金銀などの江戸(および家康の大御所時代には駿府)への輸送路として重要視された。 また、北国街道は大名の参勤交代の往来に用いられた。北国街道を通行した大名で最も大きかったのは100万石の加賀前田家(松平加賀守)である。北国街道を加賀街道と呼ぶこともあった。 松平忠輝は慶長19年(1614)、高田築城にあたり、関川河口の往下橋を廃した。川を渡るには、渡し船を利用するか、陸路高田に向かい遠回りしなければならなくなった。軍事上の目的と、高田城下に旅人を入れて町の繁栄を企画したものであった。上杉家支配の時代には、糸魚川方面から新潟方面に向かう街道は今町(直江津)を通過していた。今町は上杉氏・堀氏の城下町として、また湊町として大いに栄えていたが、以後その発展は阻害されることとなった。現在に至る迄残る直江津地区と高田地区のしこりは、この時を起源としている。
佐渡の金銀を陸揚げする港として幕府直轄領となり、幕府陣屋がおかれていた。越後一の人口密度を誇る一大交通都市として栄えた。近世に入ると、佐渡金銀山と江戸を結ぶ佐渡三道の一つとして街道が整備され、出雲崎町と佐渡島の小木が船で結ばれる。(👉出雲崎陣屋) |
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