宝生寺の木喰 33観音 Mokugui 33 Kannon at Hosho-ji Temple 長岡市
| 木喰上人(1718-1810)が享和4年(1804)廻国の際に宝生寺に立ち寄り、境内の銀杏の木を切って作ったものと言われ、高さは大きいもので92cm、小さいもので44.5cm、上人87歳の作で、上人晩年の秀作である。 木喰上人は享保3年(1718)、甲斐の国に生まれ、14歳の時故郷を出て出て流浪を続けたが、22歳で仏門に入った。45歳の時木喰戒を受け、そして56歳のときに日本回国と仏像千体彫刻を発願して全国を回り、ついにその数3000体に及んだといわれる。 木喰堂の扉が開けられると5段に並んだ観音様と上人の自像が私たちにやさしく微笑みかけてくる。円くて太い眉、団子鼻、ほほえんだ眼と口元。その飾り気の無い顔立ちに、「人間はいつ、いかなるときでも、微笑みを忘れてはならない」という上人の信条と、大衆供養を本願とした上人のひたむきな姿がうかがわれる。保存状態も極めて良好である。昭和42年(1967)3月25日、県指定の文化財となっている。 廻国三十三観音像(うち1体は明治13年(1880)の火災の際に盗難に遭い、現在32体が残る)と自刻像が残されている。30体を超える木喰仏の大群像は新潟県内の4箇所だけである。 宝生寺 ※GOOGLE 画像室町時代中期の文明年間(1469~87)、僧元杲の創建と伝えられている。元文5年、27世住持の快尊が、高野山宝亀院政興から法流を相伝し、中興開基した。享和4年(1804)、木喰上人五行明満が来寺し、庭のイチョウの大木で三十三観音像と自像を刻み、寺に安置した。木々の茂るこじんまりとした境内に、本堂・庫裏・鐘楼などが建つ。本尊は阿弥陀如来。❏〔宗派〕 真言宗豊山派
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