菅名岳 Mt.Suganadake 五泉市



阿賀野川によって五頭山塊と分断され、早出川によって白山山塊と分断される。蒲原平野に面して阿賀野川の左岸に隆起する川内山塊で、鋭鋒を誇る鳴沢峰に始まり、主峰菅名岳、右に三五郎山、大蔵山と頂稜を連ねている。
越後国の古地図とされる、平安時代の康平図に山名が記載されており、由来は「菅名庄」中にあることから名付けられたという。
現在は、丸山尾根、五葉尾根、阿賀野川畔の咲花温泉からの咲花コース、いずみの里からのコースがあり、いずれもよく整備されている。
登山道沿いにブナ自然林が続く。標高600m付近の「椿平」は、ブナ林の下一面がユキツバキの群生が広がる。

菅名岳にある郷土の森は、県の森林浴の森百選にも選ばれ、トチノキなどの巨木が多く、ブナやカツラの原生林が広がり、森林浴に訪れる人も多い。江戸時代この地域に暮らす住民の命がけの努力で、近年までこのような森が残されたものといわれる。
平成5年(1993)5月、関東森林管理局は五泉市からの要望を受け、ブナ、トチなどの天然広葉樹を保護しながら地域振興にも役立てることとして「郷土の森」を設定した。この中には「森の巨人たち100選」に選ばれたトチの古木がある。推定樹齢350年、幹廻り7.4mの巨木は、見るものを圧倒する。
新江川の上流に「どっぱら清水」がブナ林より湧き出ていて、毎年有志による「寒九の水汲み」が行われている。(案内図)
享保9年(1724)2月28日、蒲原郡川東郷騒動が起る
菅出、四ツ谷村など下郷18か村の入会山であった菅名岳は、濫伐のため渓水が涸渇し用水山としての用をなさなくなった。菅名岳を領内に持つ村上藩では用水山の濫伐を厳重に禁止したが、上五泉などの幕領5か村の住民は従わなかった。これに対して、村上藩領中川新村百姓中川三五郎らは前年7月に乱伐禁止を申し立て勝訴していた。しかし幕領農民はこれに服さず、この日から川瀬・今泉・寺沢などの百姓200人余りが山中に乱入して伐木した。これを制止しようとした中川新村の農民と乱闘となった。中川新村農民1名が死亡し、3名が重症を負った。三五郎は再度出訴して勝訴し、幕領の村々は1村について3貫文(300両相当)を課された。

🔶いずみの里(幅沢コース)

登山口入り口近くにあるいずみの里を通り過ぎ、100mほど行くと登山者用駐車場がある。一般車両は通行止めとなっており、林道を歩く。大蔵山登山口過ぎ、林道終点に到着する。ここより先は沢沿いの登山道となる。10分ほどで丸山尾根への分岐があるが沢沿いに進むとカツラの大木が群生する場所となる。
『どっぱら清水』の看板があり、清水はブナの森からこんこんと湧きだしている。ここより5分ほど先に「森の巨人たち100選」に選ばれたトチの大木がある。
道は沢を離れ、椿平への急登となる。椿平はユキツバキの群生地で、緩登が続くき7合目の鐘の休み場に着く。
ブナの樹林帯の中を急登し山頂に着く。ブナの樹林帯ではキビタキがさえずり、ゴジュウカラ ヒガラがブナ林の中を動き回り、アカゲラも見られる。山頂からは東南に大蔵山への縦走路も延びている。

🔶小山田登山口(丸山尾根コース)

国指定天然記念物「小山田彼岸桜」の駐車場に車を停める。車はもう少し先まで入れるが、ここに駐車スペースはないので注意する。
小山田沢に架かる橋を渡ると、登山道は階段状(地獄の階段 575段)の急登となる。この急登が、このコース最大の難所といえる。道はブナ林の一本尾根道に変わる。マルバマンサク、タムシバ、ツツジ類、足元にはショウジョウバカマカタクリスミレイワカガミイワウチワなどが、疲れを癒すには余りある美しさで出迎えてくれる。
標高600m付近の「椿平」は、その名の通りブナ林の下一面をユキツバキが群生する場所である。ここからは幅沢コースと合流して、頂上を目指す。




どっぱら清水
























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