御神楽岳 ( みかぐらだけ ) Mt.Mikaguradake 阿賀町



越後山脈に位置し、浅草岳とともに、新潟県側と福島県側の分水嶺になる主要な山。日本の二百名山の一つ。神々への奉納神楽が聞こえる山「御神楽岳」は、急峻な尾根や岩壁から、「下越の谷川岳」とも称される。
阿賀野川に注ぐ広谷川の源流に展開する、斜長石英粗面岩の岩壁に標高差800mの岩場ルートの栄太郎新道(蝉ヶ平コース)が拓かれた。
平成9年(1997)に、廃道化していた一般向けの室谷ルートが整備された。
山頂はあまり広くないが、二等三角点「御神楽岳」が設置されている。山頂からは、360度のパノラマの展望ができ、南に本名御神楽・貉ヶ森山・会津朝日岳。南西に浅草岳・守門岳。西に矢筈岳・東に笠倉山と県境の山々が見渡せる。
福島県側からも本名御神楽を経由した登山ルートが開かれている。梅雨時の入山はヤブカ対策が必要。

☯2019年(令和元)5月30日午前9時20分ごろ、登山道下の沢で、28日から1人で登山に訪れていたとみられる長岡市栃尾原町男性(68)の遺体が発見された。家族が長岡署に行方不明届を出して捜索が行われていた。





広谷川渓谷

広谷川は阿賀野川に注ぐ室谷川(常浪川の上流を言う)の支流の一つで、御神楽岳(1386m)から流れ出る。
御神楽岳のスラブ状の大岩壁を形成する鋭い山容から、上流部の渓相は険しい。
常浪川は、太田の柴倉川合流点から室谷川と名前を変える。広瀬で広谷川は室谷川に合流する。
最奥の集落蝉ヶ平までは谷の瀬も渕も静かで穏やか。林道の終点で御神楽岳の登山口となる辺りから深い谷底に巨石が散見され、両岸の切り立つ岩で谷間は狭くなる。
頭上にせり出す岩場を、広谷川に落ちる幾つかの沢を巻きながら進む。樹林の間から断崖絶壁の岩場が迫る深い渓谷の様相がうかがえ、滝が連続する。登山口から湯沢の出合まで50分。好展望地である。

御神楽温泉


あすなろ森林公園

自然林に囲まれた広大な森林公園。キャンプ場や水芭蕉を眺める散策コースやのんびり森林浴を楽しむ遊歩道、野外音楽ステージのある'ふれあい広場'では楽しいイベントも可能な公園。※ストリートビュー


室谷渓谷

阿賀野川に注ぐ常浪川で、柴倉川との合流点、太田から先の上流部を室谷川と呼ぶ。数多くの支流、沢を持つ。
樹木に覆われた暗い渓谷は、動物や渓魚の生息地である。
広瀬で室谷川に沿って進むと縄文時代の遺跡、小瀬ヶ沢洞窟を見やる。更に渓谷に沿って進むと川の浸食でできた縄文前期の住居跡室谷洞窟がある。
渓谷の反対側の右岸、北向沢の樹林の間から室谷不動滝が見える。落差20数mで水量は豊かである。ただ、歩道もなく近づけないのは残念である。
室谷川の源流を林道に沿ってさかのぼるにつれて、渓相は険阻となる。小久蔵沢は女性的だが、大久蔵沢になると薄気味悪く、死の谷ともいわれている。

小瀬ケ沢洞窟

国指定文化財史跡 指定昭和57年12月3日指定
この遺跡は、流紋岩の亀裂による自然洞を利用した住居跡で、縄文時代の最も古い草創期(約1万2千年前)に属する遺跡である。
昭和33年、34年の2回にわたる発掘調査で押型文、撚糸文、押圧文、櫛目文など最古の土器群と共に石槍、植刃、石斧、骨器などが多量に出土し、当時の生活を知るうえで極めて重要な遺跡である。

室谷洞窟

国指定文化財史跡 指定昭和55年2月4日指定
この史跡は阿賀野川支流室谷川(現常浪川)の側方浸食によって形成された洞窟である。堂内の堆積層は15層に及び縄文時代草創期(約9千年前)から早期への文化の推移を整然と示しており堆積層の下部からは草創期の特異な方形平底土器や石鏃のほか、多くの獣骨片の抉出は、山岳性洞穴の生活実態と動物帯の分布を明らかにするものである。
さらに半環状配石に囲まれて成人女性の人骨が屈葬の形で発見され、縄文前期の生活を知るうえで極めて重要な遺跡である。

















御神楽岳の名前の由来

昔、崇神天皇が四道将軍を派遣した時、北陸道へは大彦命、東山道へは大彦命の子武渟川別命が向かった。両命が御神楽岳で会ったので、この地を「会津」と名付け、山頂に国土開拓の祖神伊弉諾 ( いざなぎ )尊と伊弉冉 ( いざなみ )尊の二神を祀ったといわれ、これが伊佐須美神社の創建とされる。幾度かの遷座を繰り返し現在の地、福島県大沼郡会津美里町に遷座したとされる。
大彦命の子孫は長くこの地にとどまり、国土開拓の神様である伊弉諾、伊弉冉の両尊と大彦命を奉斎し、神楽を奉じて神霊を慰めたといわれ、これが御神楽岳の名前の由縁とされる。本名御神楽岳の山頂には伊佐須美神社の石の祠がある。





御神楽岳 室谷登山口 蝉ケ平登山口 湯沢の出合 小瀬ケ沢洞窟 室谷洞窟 室谷不動滝