番屋山 Mt.Banba 三条市
🔗雨生ケ池 吉ヶ平山荘前を出発し、守門川にかかる樽井橋を渡り、坂を登ると間もなく登山道が二股に分かれる石碑が立っている。石碑には「馬場跡」と刻まれている。左は雨生が池へ、右が鞍掛峠へと刻まれ八十里越へ続いている。 左の雨ヶ池へ進む。雨ヶ池は数百年もの間、ブナの原生林に育まれた自然湖である。 登山道は測量のため整備されたもので、近年一般登山者も登ることができるようになった。 二等三角点のある山頂はあまり広くない。東側に入ると下方に雨生ヶ池が見える。目の前の守門岳の迫力には圧倒される。
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≪雨生ケ池(まごいがいけ)≫三条市下田地区にはかつて集団離村で廃村となった吉ヶ平集落があった。集落から1.5kmに、周囲はブナの木に覆われ、今も水が澄み切る神秘の池がある。馬追・雨生・雨乞などとも記録されている。 雨乞信仰の池として、ほとりにはかつて雨生神社があり、近郷農民の水分信仰の中心であった。 現在は八木神社(三条市大字北五百川37)に合祀され、祠が残るのみである。五十嵐川上流域には雨乞講と称して、信仰は今日もなお残されている。 鎌倉時代からこの地方を支配していた豪族の五十嵐氏の開祖である五十嵐小文治の父親は、雨生池に棲む竜の化神だったと伝えられ、村人は池に石や金物などを投げて、竜神を怒らせることを厳しく禁止していた。 池の主(大蛇)と名主の娘の恋物語伝説が今も残り、その伝説にちなんで毎年8月第4土曜開催の「しただふるさと祭り~雨生の大蛇祭~」がおこなわれる。
昔この附近は牛馬が放し飼いされていたが、番屋山に大きな怪鳥が棲んでおり、襲われた牛馬は逃げ場を失って、この池に落ちて死んだといわれ、最初「馬追ヶ池」と言っていた。江戸時代に入って干害に見舞われたある年、長岡藩主堀直竒がこの池のほとりで雨乞い祈願をした、霊験が現れたことからこの池を「雨生ヶ池」と呼ぶようになったという。 雨生ヶ池のブナ林三条市下田地区の奥地一帯は国有林で、その大部分が奥早出・粟・守門県立自然公園に指定されている。このエリアのブナ林は人の目にふれることのない奥地に点在している。唯一雨生ヶ池周辺は、八十里越の起点でもある吉ヶ平から徒歩30分と、気軽に行けるブナ林として密に人気を集めている。黄葉期、新緑期を問わずその美しさは格別で、ブナの新緑や黄葉に染まる湖面は、格別に美しい。 🔙戻る
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番屋山 吉ヶ平登山口 馬場跡石碑 雨生ヶ池