華報寺 ( けほうじ ) Kehoji Temple 阿賀野市


天平の年、行基が五頭山で修行したのが始まりといわれます。行基が霊木を以って刻んだ4体の優婆等のうち一体が、寺内に安置されています。
また平安時代初期大同年間に空海(弘法大師)が北国巡錫した際、坊舎を建立したのが始まりとも伝えられます。

隆盛したのは鎌倉時代で30数坊の伽藍(がらん)があったと言われています。当時は五頭山海満寺と称し真言宗の寺でした。
のち火災などにあい荒廃したが、文明9年(1447)村上耕雲寺6世が曹同宗の道場として再興し寺名を華報寺と改めました。
明治時代以前は出湯温泉のすべての権利を持ち、湯治客を寺坊に泊めていたが、収容し切れない客を門前の民家に泊めたのが、出湯旅館街の始まりといわれている。
現在の本堂は戦後に再建されたもので、優婆尊(うばそん)の信仰の場として、現在も多くの人が訪れています。

境内には、佐渡出身の鋳金家で人間国宝の佐々木象堂や、歌人の相馬御風が訪れたことを示す石碑があります。






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