岡倉天心六角堂 Okakura Tenshin Rokkakudo 妙高市



@じゃらん
岡倉天心は、明治時代の日本美術界の先覚者として日本の美術を広く海外に紹介するとともに東京美術学校(現・東京芸術大学)を創設した。
彼は赤倉の土地をこよなく愛し、ここに山荘を建てた。大正2年(1913)、病気療養で赤倉山荘に滞在、9月2日にこの地で亡くなった。
昭和41年(1966)その山荘跡に、有志によって岡倉天心史跡記念六角堂が建てられた。法隆寺の夢殿を模しており、平成11年3月31日には、平櫛田中〔読み〕ひらくし(又は ひらぐし) でんちゅう〔生年〕1872年2月23日(明治5年1月15日)〔没年〕1979年(昭和54)12月30日 〔出身〕岡山県後月郡西江原村〔職業〕彫刻家作の天心の金色の胸像が安置された。







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