五合庵 Gogoan 燕市



国上寺 五合庵

国上集落から国上寺へ登る西参道の途中にある。
貞享年間(1684~1687)国上寺の良長が阿弥陀堂再建に尽力した万元のため、庵を修理して住まわせ、毎日米5合を給したことから、五合庵という名はきている。その後は国上寺住職の隠居所となっていたが、文化元年(1804)良寛が移り住んでいる
庵は桁行・梁間とも二間、正面と側面に縁を設け、屋根寄棟造り、カヤ葺きの簡素なもの。春は桜の古木が彩りを添える。現在の建物は、大正3年(1914)の再建である。

良寛和尚が玉島(岡山県倉敷市)の円通寺で厳しい修行を終え、各地の名僧を訪ねて研さんを重ねたのち、38歳の時、寛政8年(1798)から麓の乙子神社境内内の草庵に移る文化13年(1816)まで、20年近く過ごしたところ。ここに住んでいた頃の良寛は、小鉢に米や野菜を分けてもらい、托鉢から戻ると座禅をし、小野道風の「かな」や唐僧・懐素の草書を学んで独自の書風を磨いた。また文人とも交遊を持って、多くの初期作品を残した。







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