三国街道Mikuni Highway
三国峠は関東と越後を結ぶ交通路としてきわめて古くから利用されており、戦国時代上杉謙信の関東遠征の際に利用された。主要街道としての三国街道は、近世(江戸時代)に参勤交代に利用されるようになってから重要視されるようになった。三国峠は、険しい地形と夏の豪雨、冬には大雪が降ることから街道最大の難所とされていた。あまりに険しいことから、佐渡金山のお金荷は、北国街道を主要な経路として運搬された。 長岡藩、与板藩、村松藩などの諸大名や佐渡奉行、新潟港巡検の関八州取締出役などがこの街道を利用した。 当時の雪国越後の様子を詳しく紹介しているのが、雪国の暮らしをまとめた鈴木牧之の書籍『北越雪譜』である。「雪=美しいもの」と考えていた関東の人々に衝撃を与えベストセラーとなった。南魚沼市は著者鈴木牧之の生誕地であることから、塩沢宿を「牧之通り」と名付け、美しい町づくりに力を入れている。 長岡には、日本酒、みそなどの蔵が集う醸造の町・摂田屋がある。雪深いこのエリアには、糀や酒粕を使用した発酵食が欠かせない。長居冬季も食生活を豊かにした雪国独自の発酵食文化はこの地域の魅力の一つともいえるだろう。 🌌浅貝宿浅貝宿は慶応4年(1868)の戊辰戦争によって、多くの家屋が焼失した。ホテル御宿本陣はかつて本陣を勤めた綿貫家が経営する旅館宿。三国峠🌌二居宿旧本陣とされる富沢家住宅が残されている。戊辰戦争で建物が焼失したが、明治2年(1689)に再建され、現在では湯沢町指定史跡に指定されている。🌌三俣宿三国峠からは3番目三俣宿にあたり浅貝宿、二居宿と共に三国三宿とも呼ばれ、3宿の中では最大規模となり、本陣1軒(関新右衛門家)、脇本陣2軒(越後屋・池田屋)が設置された。三俣宿の中心付近にある三俣観音堂の本尊、聖観世音菩薩は池田家が当地に土着した際奉納したものと言われている。 池田屋住宅八木沢口留番所
🌌湯沢宿湯沢温泉が平安末期に高橋半六(高半旅館の祖)が偶然に発見して以来、温泉地としても知られていた。湯沢温泉🌌塩沢宿高田藩の高田城の城下町と塩沢宿を結ぶ松之山街道の分岐点でもあった為、交通の要衝として発展していた。塩沢宿 牧之通り
🌌六日町宿江戸時代に入り三国街道が整備されると、六日町には本陣、脇本陣、問屋、旅籠など施設が設置された。越後諸侯の参勤交代、幕府直轄の佐渡金山を管理する代官や役人が宿泊した。六日町宿は魚野川で行われていた舟運(上田船道)の最上流の発着地点であり、長岡城の城下まで舟運を利用しくだることができた。六日町宿は、本陣、脇本陣、行政機関(大肝煎の役所)、船会所、問屋などが集まり、人や物資の中継地点として三国街道屈指の宿場町として賑わった。 🌌長岡宿摂田屋
🌌与板宿三国街道の宿場町であると同時に新潟湊と結ぶ信濃川舟運(長岡船道)の拠点でもあった為、多くの物資が行き交い経済的に発展し"大坂屋三輪家"などの豪商を輩出した。現在でも木造2階建、切妻、妻入、1階正面には「雁木」を備える町家が建ち並び往時の雰囲気が感じられる。🌌寺泊宿北国街道や三国街道の宿場町として整備され、北前船の寄港地として多いに賑った。 |
浅貝宿 二居宿 三俣宿 湯沢宿 関宿塩沢宿 六日町宿 五日町宿 浦佐宿 堀之内宿 川口宿 妙見宿 六日市宿 長岡宿与板宿 地蔵堂宿 関中島宿 渡部宿 寺泊宿