今井家住宅 Imai family historic buildings 燕市
| 🔗吉田天満宮 今井家の祖先は近江から1700年代の初め吉田町に流れてきて、この地で商売を始めた。 吉田町は信濃川の支流西川沿いの長岡藩領の在郷町で、古くから六斎市が開設され、地域の米の集散地、西川を利用する水運の船着場として、藩政・経済の要地となり栄えていた。 1705年(宝永2)に没した菅田善五郎を初代とし、近江屋を名乗った。今井姓を名のったのは3代目からで、4代目のとき家運発展、1824年(文政7)集積地は100町歩を超え、長岡藩領の庄屋株を買い集め、幾村かに代庄屋を置く豪家となった。 幕末までに500町歩の小作地をもつ巨大地主となり、さまざまな事業を展開し、隆盛を極めた。 今井家は代々長岡藩の御用商人をつとめ、嘉永2年(1849)と翌年にかけて藩に5000両の大金を用立てている。 1855年(安政2)8代孫兵ヱは、長岡藩勝手元方、御勘定所金穀払方、翌年300石の同藩重役となり、士分として、牧野家が大阪城代、京都所司代、老中と徳川末期の幕政に参画してゆく陰で財政責任を担うほどになった。 北越戦争(1868)の折は、8代孫兵ヱは河井継之助に多額の軍資金を援助したが、長岡藩が破れたため一時家運の停滞もあった。一方で、明治維新後にいち早く経営の近代化を図り、金融業に着手、戦前まで材木商や醸造業などに事業を拡大。 大地主として幕末から明治にかけて動乱期に今井家は土地集積を進め、1924年(大正13)には最高742町歩に達した。 「香林堂」と大書された明治の赤レンガの洋館は明治28年に、今井家10代目の孫市によって建築された。 彼は大地主だけに納まらず銀行を起こしたり、北洋漁業に乗り出したり、地域のために病院を開設するなど進取の気概に富んだ人物として知られている。 第2次世界大戦後も、大地主が没落してゆく中で、置き薬事業を中心に地域経済を支えてきた。 現在、今井家は香林堂という家庭薬の製造販売会社と越後味噌醸造株式会社を営んでいる。 屋敷のもう一方のコゲ茶色のレンガの洋館は大正期の今井銀行の建物である。大正9年から昭和7年まで銀行を営業したが、戦後昭和26年以降製薬会社の工場として利用された。 今井家住宅は約7,000平方メートルの敷地に歴史的な建造物が立ち並び、①住宅主屋②住宅西洋館③住宅新座敷④旧今井銀行店舗の4件は、2014年(平成26)12月19日付けで国の有形文化財に登録された。 建物は公開されていない。 越後味噌醸造株式会社
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八代今井孫兵衛文化7年(1810)〔生〕~明治6年(1873)文化7年(1810)、下曲通村星井孫兵衛の次男として生まれた。天保2年(1831)、五代孫兵衛の養嗣子となり、六代孫兵衛、七代孫兵衛の後見をした。両名とも早世したので、天保15年(1844)、今井家を継いだ。 天保15年(1844)、長岡藩へ250両の冥加金を上納し、割元格となった。嘉永2年(1849)には、同藩の領内才覚金8万両のうち、個人で5千両を負担し、代々割元准座・永々階子御相印御免(長岡藩の五段梯子の旗印を、掲げることが認められた)となった。 安政2年(1855)になって、急速に長岡藩との関係が深る。 長岡藩は嗣子牧野忠恭が藩政改革を進め、郡奉行村松忠治右衛門を物頭格勘定頭に登用した。 村松は、借金の利払いのためまず5万両を調達しようとした。選ばれたのが今井孫兵衛であった。同年9月、藩は孫兵衛を長岡城内へ呼んで、高百石の士分取り立てを代償として、5万両の出金を求めた。 孫兵衛はこれをかたくなに固辞したので、村松は孫兵衛自身を長岡町内に止宿を命じ、役人を吉田に派遣して、帳面や土蔵に封印した。孫兵衛がかたくなに固辞したのは、少々の金を出してもその場しのぎでしかない、という、藩の財政政策への批判があったからであった。 9月になって、身代改めは撤回され、孫兵衛や吉田村割元富所平治左衛門らに長岡藩の財政の運用が一任されることになった。 安政3年(1856)2月、今井孫兵衛、富所平治左衛門は、村松と共に江戸に上り、藩主牧野忠雅に拝謁して、藩財政の再建策を申し立てる。以後、孫兵衛は、毎年2万から3万両近い額を融通するとともに、2万俵、時には3万俵を乞える藩米を一手販売した。このような体制は、慶応4年(1868)正月、孫兵衛が俸禄扶持辞退役免となるまで続いた。 吉田天満宮今井家の当主は、永年、毎月岩室天神山の天満宮にお参りする慣例になっていたが、約二百年位以前(江戸中期)お参りの帰途、子供たちが西川に流れて来た天神様の像で遊んでいたところに出会わせた、当主は是を譲り受け、今井家の守護神として屋敷内にお祭りすることになった。弘化3年(1846)になって、自宅で神社を祀るのは畏れ多いと、本像を現在の場所に奉遷し祀ったのが現在の天満宮である。 吉田の天神様として親しまれ、祈願すると必ず立身出世・諸願成就ができるといわれ、別名「出世天神」として崇められている。境内は日本庭園になっており、拝殿、奥の本殿に参拝後の散策にも良い。 毎年5月24~25日の吉田天満宮祭礼では植木屋が軒を並べ、祈願の記念に植木を買い、木が大きくなると願いが成就すると、買い求める人の多さから「吉田の植木祭」の別名さえある。
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