護摩堂城跡 Gomado Castle Ruins 田上町



🔗アジサイ園 🔗護摩堂山
海抜268.3mの護摩堂山に残る山城跡。護摩堂山は新津丘陵のほぼ中央に位置する,美しい緑に囲まれにいがた景勝100選に選ばれた。ここから蒲原平野の広大な田園風景や遠くは佐渡島を一望に見渡せる。
護摩堂山は平安時代の初期、弘法大師空海が北国巡礼の途中この山上に護摩壇を築き、密教の修行をしたと伝えられている。それが護摩堂山と名付けられた云われという。一説には弘法大師の弟子空法上人が、修業の霊場を開くにふさわしい土地を求めていたが、巨木がうっそうと繁り、水清く、深山霊場にふさわしい環境であったこの山が真言宗霊場にふさわしいとして、多くの寺院を築いたことから護摩堂山の名がついたともいわれる。

山頂部一帯に大規模な施工による山城遺構が広範囲にわたって残っている。西の平野側に向けて派生する両翼の尾根にも砦跡が3ヶ所認められる。
護摩堂山の裏は断崖絶壁、いくつかの稜線にかかえられた頂上は三方展望の利く絶好な場所、更に頂上に湧く清水は滾々として年中変わらぬ水量を保っている。城を築くに適した場所であった。(案内図)
城は平安時代の後期、羽生田周防守吉豊の築城と言われるが、伝説の範囲内で年代ははっきりしない。
羽生田氏は在城20数年、長治2年(1105)黒鳥兵衛に攻め滅ぼされたといい、この時水源を断たれた城中の羽生田勢が、白米で馬の脚を洗って、攻城軍に水が豊富なように見せかけたという、白米伝説が残されている。

史実に顕れるのは、平賀宝山が鎌倉末期に築城したことが確認できる。平賀氏は清和源氏の流れを汲む有力御家人であった。蒲原郡金津保の地頭職となった金津氏は一族である。平賀氏は南北朝時代、新田氏の旗下で南朝方に組して戦い、北朝方の和田氏によって追われたものと思われる。平賀氏の菩提寺であった東竜寺※ストリートビューには平賀宝山のものと伝えられる墓がある。

南北朝時代の末頃から室町時代の天正年間まで三条城将山吉氏の持ち城であった。
室町末期、守護代長尾為景が守護上杉氏と戦った永世の乱の時には、山吉能盛や山吉政久が長尾為景について活躍している。為景方は戦略上の重要拠点としてこの城を死守した。
謙信以降の上杉氏が下越地方の国人層の牽制や勢力伸張をすすめていく過程でこの城は大きな役割を果たした。謙信時代は山吉氏は「三条衆」と呼ばれ最大の軍事力を誇っていた。天正6年(1578)に山吉景長が木場城主となり移ると、甘粕長重が山吉氏の代わりに三条城将となり、護摩堂城は甘粕氏の持城となる。
天正9年(1581)に、新発田重家が下越地方で反旗を翻すと、上杉景勝は腹心の甘糟景継に命じて護摩堂城を守らせている。景勝の側近を配することで下越地方の楔とし、新発田重家に対する前線基地となった。
景勝が会津へ移ったのちは、三条城主堀直清の持ち城とされたが、慶長15年(1610)に堀家が改易後、同17年(1611)には松平忠輝の附家老になった松平重勝が三条城の城主となり、護摩堂城を持ち城とした。その後、元和元年(1615)の一国一城令で廃城となった。

🔶護摩堂城 城址広場
〔所在地〕田上町田上丙

〔羽生田周防守吉豊ゆかりの地〕

  • 🔶周防杉
    護摩堂城主羽生田周防守が黒鳥兵衛との合戦に敗れ周防守は討たれてしまう。妻は夫の首を奪い返してこの地に逃れ、その首を村人が羽黒神社境内の八幡社に納めたという。
    〔所在地〕五泉市長橋乙800 羽黒神社内

《現地案内看板》
町指定文化財 史跡
護摩堂城址
昭和六十二年十一月十七日指定

護摩堂山は、平安時代、麓の真言宗寺院の奥の院がある修験の山であった。ここに初めて要害を構えたのは田上領主の平賀宝山という人で、鎌倉時代末期の頃と、麓の東龍寺では伝えている。
確実な資料では室町時代の一四二三年、越後を二分した応永の乱の時、守護方の中条房資が中郡の守護代方を討つため揚北から進出し、ここに楯籠もって戦ったのが初めである。
続く永正の乱(一五〇九)では、守護代側が死守した重要拠点の一つとされ、上杉景勝時代にも番城として使われたが一五九八年上杉氏会津移封で廃城となった。
頂上南側には土塁を廻らした本丸跡、北側に新津曲輪跡や馬場跡があり、山腹にはいたる所に防御用の土塁・空堀・切崖が施されている。

田上町教育委員会

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護摩堂山アジサイ園

植物の宝庫としても知られ、ハイキングコースにもなっている護摩堂山(268m)。頂上には3万株のあじさい園があり、6月中旬~7月中旬が見頃で、アジサイまつりが開催されます。
一角にあじさい茶屋があるが、経営者の山田さんが自生していたアジサイを増やし、またアジサイの株を植えていた。
1988年、田上町出身でベルリンオリンピックのマラソン選手だった故佐藤秀三郎氏が「アジサイ寺」として有名な神奈川県鎌倉市、明月院のアジサイの美しさに魅せられ,苗木700株を田上町へ寄贈をきっかけとして、田上町が管理を行っている。
なお、期間中の日曜日にはアジサイ園の斜面を利用した「日本一の流しそうめん」も行われます。
遊歩道を歩きながら斜面を覆う約3万株のアジサイを楽しむことができます。登山口から山頂まで1.8km(徒歩で約40分)。



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護摩堂山

低山であるが一等三角点のある山である。だれでも登れる山として多くの人に親しまれている。
登山口はトイレも完備した広い駐車場にある。登山口からは広く整備された緩やかな坂道は山頂近くの茶屋への運搬道でもあり、城址広場までたんたんと続く。約300mきざみにナンバーをつけた木製標識が立てられていて、行程や見どころがわかりやすい案内板も建てられている。
中間点には東屋のある「展望広場」がありトイレも備わっている。
「ナンバー7」標識から、道は左右に分かれる。左手に行けばすぐに石切り場跡※ストリートビューとなる。江戸時代初期から昭和初期まで、かまどや炉の縁石として切り出された。右手は旧城跡への登りだ。周回路となっているので、護摩堂城跡・あじさい園を楽しむのもよい。
あじさい園は、6月下旬から7月上旬まで色とりどりの3万株といわれる紫陽花が咲き乱れる。ここからの展望は素晴らしい。西北は蒲原の平野と弥彦、角田の山影、さらに遠く佐渡。北東は阿賀野川沿いの街並みと五頭山。菅名の山塊、さらに南東遠く粟ヶ岳、守門の山脈が連なっている。※ストリートビュー
城址広場から一等三角点のある山頂までは、やせた尾根の登山道で15分くらい。山頂は広場になっているが周りの雑木にさえぎられて、眺望は利かないので、景色を眺めるには、城址広場からがよい。※ストリートビュー


〔標高〕 268.3m

〔所在地〕新潟県五泉市と南蒲原郡田上町

〔登山口〕
  • 🔶護摩堂山登山口
    〔所在地〕田上町田上丙
    〔所要時間〕約45分
    〔駐車場〕 50台
    〔トイレ〕駐車場にあり


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護摩堂山 護摩堂城跡 護摩堂山登山口 護摩堂山あじさい園