妙宣寺 佐渡市
| 佐渡国分寺跡の東約500mにある日蓮宗の寺で、日蓮宗佐渡三本山の一つとして知られる。寺伝によると、順徳上皇の供をして佐渡へ渡った北面の武士遠藤為盛が、上皇の崩御(1242)後、塚原三昧堂に謫居中の日蓮上人に帰依して出家、阿仏房日得と称した。その子盛綱、得度して日満が父母の志を継いで、居館を寺に改めたのが当寺の開基とされている。 現寺地は、竹田本間氏(佐渡守護代本間氏の一族)の居館跡で、竹田本間氏は天正17年(1589)上杉景勝に攻められて滅亡。翌18年、景勝の重臣直江兼続が、日蓮の旧跡を訪ねて来島した京都妙覚寺の僧日典を援助して、本間氏の城跡に一宇を建立した。これが現在の妙宣寺である。 赤松の茂る広々とした境内に、江戸時代末期に建てられた入母屋造り、瓦葺きの大きな本堂や、カヤ葺きの庫裏、祖師堂、五重塔、仁王門などがたつ。 本堂に向かう石橋の近くには、本間氏の居住時代の空堀跡が残り、その傍らに、正中の変(1324)で佐渡に流され、この地で果てた日野資朝の供養碑がある。 寺宝としては、国の指定重要文化財になっている、日蓮自筆書状3巻、日野資朝自筆の細字法華経1部8巻などがある。法華経は資朝が処刑1年前の元徳3年(1331)、慈父慈母の冥福を祈って書写したものであることが、奥書によってわかる。 (五重塔)五重塔は佐渡では唯一の五重塔で、高さ24.11m、一辺の長さが3.5m。材料は柱は杉、上物は松、組み物はケヤキが多い。明治時代、屋根がこけらぶきから銅板にふき替えられ、昭和14年(1939)にかわら葺きに改修された。文政8年(1825)の建立である。作者は相川長坂町に住んでいた長坂番匠の茂左衛門とされ、娘婿の金蔵と親子二代で立塔したと伝えられる。享保21年(1736)、立塔の願いが出され、完成に90余年の歳月を要したのは、主に資金不足が原因といわれる。 この塔は、実は未完成の部分を残す。どの階にも手すりがついておらず、二階以上入り口には両開きの扉も取り付けられていない。 昭和61年(1986)、国の重要文化財(建造物)に指定された。 |
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