庵地焼 Anji Yaki 阿賀野市
庵地焼の源流、「保田焼」は江戸時代から1962年(昭和37)まで旧北蒲原郡安田町保田通称庵地でつくられた陶磁器である。徳利・片口・摺鉢・行平・おろし皿・急須・湯呑・目たて・皿類・鉢類・甕類・かんてら・たんころ・油さし・湯たんぽなど多種多様の日用雑器を製造した。 村山窯、旗野窯、井上窯があったが、村山窯と井上窯は廃業した。旗野窯は1962年(昭和37)民芸窯に徹しようとして「庵地焼」と改名した。 3代目の旗野(義山)義夫が研鑽努力し民芸窯としての地歩を固めた。 1974年(昭和49)には登録商標が認められ「庵地焼」の名が世の中に広がった。 1979年(昭和54)3月義山没後、実子の三姉妹が継いだ。三姉妹が中心となって伝統を守り、今もすべての工程を手造りで行っている。 旗野窯では、土づくりから手作業で行われている。真夏に庵地の土天日干しし、その後、乾いた原土を水に溶かしてゴミや砂などの不純物を丁寧に取り除いていく水簸と言われる作業を行う。 素足で踏み込む「土踏み」、手で練りながら空気を抜く「土もみ」の工程を経てようやく使える土になる。 陶器の制作には足で蹴りながらろくろを回転させる「蹴りろくろ」が使われている。ろくろの上に載せ、回転速度を自在に操りながら形を整えていく。 庵地の粘土には鉄分が多く含まれており、旗野窯で調合された黒釉をかけることによって、艶と深みのある「庵地黒」が生まれる。また、重量感と厚みがあり、とても頑丈で、一度円形で作った器を八角形に切り出す「面取り」を施すのも庵地焼の特徴となっている。 安田粘土段丘堆積物中から産出し、窯業原料に適したハロイサイト系粘土鉱物を主体とする粘土である。庵地焼の原料や安田瓦あるいは土管の原料として使用されている。渡部窯 Googlemap ストリートビュー 新潟の陶芸教室・陶芸体験 じゃらん 新潟県の陶芸体験 陶芸教室 予約はアソビュー |