南方稲荷尊天 なんぽういなりそんてん 燕市



南方稲荷尊天は『味噌なめたか』で有名な関興寺の鎮守社とされる。関興寺開山の数年後。禅師の夢枕に聖観世音菩薩が立ち、「これより私は稲荷となる。裏山に鎮守として祀るなら長く寺を興隆させ、信仰する者には諸願成就を約束しよう」とのお告げがあった。禅師は祠を祀り社を創建したという。
後年の「御館の乱」では渡辺藤兵衛という人物が300余人の兵を引き連れて、劣勢だった上杉景勝を逆転勝利に導いた。その後、藤兵衛は姿を消し、粗末な鎧などの武具が関興寺裏山、稲荷神社の前に脱ぎ捨ててあるのが発見された。景勝公は「かの者こそ稲荷権現の化身」と感激し、その祠が居城より南方に位置していることから「南方稲荷尊天」と篤く尊崇し新たに社殿を建立して篤く尊崇したという。






 Googlemap ストリートビュー