景勝清水 Kagekatsu Shimizu 新発田市



新発田市赤谷地区内、県道335号線沿いにある湧水。
戦国時代末期に上杉景勝は新発田氏を攻略するため、新発田氏を支援する芦名氏が築いた赤谷城を攻略するため上赤谷の陣場山に陣を張ったという。
陣場山の東斜面の一角で上杉景勝が水を探しに槍の柄をあちこち突っついたら清水が湧き出てきたという。
現在の景勝清水はその水源から路傍まで引いているという。付近は住民によってきれいに整備されている。道路を挟んで眼下にはかじかわが流れ、緑の美しい時期は特に景観が素晴らしい。


≪赤谷城跡≫

新発田市上赤谷にある古城跡、新発田から津川を通って会津にのびる街道の要衝に位置する。上赤谷は会津の蘆名領であった。夏井川・雁取川の合流点にそびえる203mの関ヶ峯を中心とし、今も中腹に空濠が残っている。居館は東麓の中丸にある。

1581年(天正9)に新発田重家が上杉景勝にそむいたとき、蘆名氏家臣小田切盛昭が新発田氏を支え、会津からの物資輸送を確保するため、要害山にあった城を移し築城した。
天正15年(1587)新発田重家討伐に苦戦した景勝はまず、蘆名氏からの支援を絶つため赤谷城の攻略にかかった。
8月24日、援軍の津川城主の金上盛備が景勝方の藤田信吉軍と交戦し、救援を阻まれ退却する。
9月に入って、景勝自ら1万騎の大軍を率いて、赤谷城の東に対面する丘に本陣を置き、布陣した。9月14日、城兵は赤谷城に立て籠ったがわずか一日で落城し、小田切盛昭以下800人の城兵は全滅した。(☛ 新発田重家 津川城)



















景勝清水 赤谷城跡 陣場山