出羽街道 Dewa Kaido
| 村上城下と庄内地方の鶴ヶ岡城下、2つの城下町を結ぶ出羽街道である。起点(村上城下の札の辻(現村上市大町交差点付近※地図))から国境の堀切峠までは総距離10里10町53間(約40.5㎞)とある。 参勤交代には利用されなかったが、江戸時代後期は出羽三山の参拝者や物資の流通、湯田川温泉(鶴岡市)の湯治客などでにぎわった。 菊を食べる文化や、山形県のだだちゃ豆をルーツとする黒崎茶豆が生まれるなど、山形県の食文化や大須戸能などの文化が街道を通り新潟に浸透してきた。一方、村上市の特産品である鮭が街道から山形県に運ばれていたとされる。 元禄2年(1689)、松尾芭蕉が「奥の細道」の行脚の際も出羽街道を歩いたことでも知られている。
🌌村上城下🌌猿沢宿大満虚空蔵尊の門前町も兼ねていた。西の山には、本庄氏が築いたとされる猿沢城の広大な遺構が残っている。
🌌葡萄宿葡萄トンネルを抜け集落に入る所で七号線に別れ林道に入る。道をたどると式内社の漆山神社が林間に建っているのが見えてくる。
🌌大沢宿
🌌北中宿(中村)松尾芭蕉が出羽街道を旅した際、温海に宿泊し、鼠ヶ関から村上へ向かう途中、8月12日に中村宿(現在の北中)に泊ったとという記録が残っている。中村宿は当時旅籠屋が5軒あり、馬が常時7頭いた比較的大きな宿場町。芭蕉がどの宿に宿泊したかは定かではないが、小田山か秋田屋左次右衛門だといわれている。🌌中継宿🌌小俣宿 ※GOOGLE 画像小俣は、かつて日本の主要道であった出羽街道の宿場町として出羽三山への参拝者など多くの人々が訪れているた。標高555m「日本国」の登山口があるl集落だ。明治維新では戊辰戦争の戦場となり、集落のほとんどが焼き払われてしまったが、その跡に再建された家々が現在も残っていて、昔の面影を思い出す。宿の玄関先には広い土縁、駕籠寄せが作られており、土縁柱には牛馬の口取縄を結ぶ駒繋ぎの金具が埋め込まれている。旅人宿の雰囲気を感じることができる。(👉村上藩の戊辰戦争、👉日本国) 小俣からは真っ直ぐ北上して堀切峠を越えて出羽の小名部に至る道と、小俣川をさかのぼり大代・雷から雷峠を越えて出羽の関川至る道とがあった。 |
村上城下
猿沢宿
塩野宿
葡萄(武動)宿
大沢宿
大毎宿
北中宿(中村)
北黒川宿
荒川宿
中継宿
小俣宿

