坂口記念館 Sakaguchi Memorial 上越市



坂口謹一郎

坂口謹一郎は1897年(明治30)、上越市の高田で生まれた。坂口家は旧頚城村の大肝煎であった。
高田中学1年生のときに謹一郎は小児まひにかかり、歩けるようになるまで3年近い休学を余儀なくされた。東京の順天中学に転校。読書に耽り、蔵書の一部が上越市の「坂口記念館」内の「楽縫庵」に納められている。愛読した作家はトルストイ、ドストエフスキー、フローベル、モーパッサン、バルザック、ゾラだった。
東京帝国大農学部を卒業後、同大応用微生物研究所の初代所長や理化学研究所の副理事長などを歴任した。
坂口謹一郎は、発酵学研究の第一人者で微生物学の権威でもあった。食べ物は時間の経過とともに、微生物の働きによって、見た目やにおい、味が変わっていく。人間にとって有益な変化が「発酵」といわれる。
牛乳を変化させてヨーグルトにする微生物が乳酸菌。大豆を納豆に変化させるのが納豆菌。同じ大豆でも麹菌を相手にすると味噌や醤油になる。米が相手なら日本酒に変化する。謹一郎は麹菌によって酒や醤油ができるメカニズムを解明したほか、サントリーの創業者、鳥井信治郎らとともに国産ワインの本格製造に携わったことから「酒の博士」とも呼ばれる。「日本のワインブドウの父」と呼ばれる川上善兵衛との交流も深かった。
新潟県出身の坂口姓の人物といえば、坂口安吾がまず浮かぶ人が多い。しかし、坂口謹一郎の名は知らなくても、その研究の恩恵は全人類に及んでいるといっても過言ではない。


≪坂口記念館≫

坂口記念館は第2次大戦中、謹一郎とその家族が疎開した父方の実家の跡地に建てられ、正式名称を『香り高き楽縫庵と酒づくりの里 坂口記念館』という。館内では麹菌の分類を示す研究論文や書籍を展示しているほか、謹一郎と関係が深い頸城の酒文化も紹介している。
蔵人が酒造りの工程で歌った「酒造りの唄」の保存・継承を目的に、酒造り道具が多数展示され、酒造り道具を使った酒造り唄の実演が行われている。
コケが緑のじゅうたんのように広がる庭園には謹一郎が愛したという雪椿の木が無数に植えられており、4月ごろに見ごろを迎える。

以下の4施設から構成される文化施設です。
①応用微生物学の世界的権威で「酒博士」として知られる坂口謹一郎博士の業績紹介と酒造り唄の保存継承、酒造り道具を展示する『酒杜り館』

②旧頸城村の大肝煎だった坂口家の旧家の雰囲気を表現し、重厚な造りで、内部には、博士が好んだ囲炉裏のある書斎を再現した『楽縫庵』

③博士が愛した雪椿を植栽した『雪椿園』
坂口が「こしのくにのしるしのはなのゆきつばきともがきこぞりてうえみてませり」と和歌に詠み、私財を投入して地元文化人と「雪椿保存会」を結成し、雪椿の保存育成に努めた。(見頃3月~4月)

④博士と文化人・蔵人との交流空間であった『留春亭』







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