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戊辰戦争
三根山藩関連人物
?〔生〕 - ?〔没〕
神戸十郎右衛門は、巻町、岩室村付近に領地を持つ1万1千石の三根山藩の国家老で筆頭家老であった。名は武徳という。藩主は長岡藩を宗家とする牧野氏であった。
新政府が派遣した北陸道鎮撫総督に対しては、慶応4年(1868)3月勤王の請書を出し、また、その命に応えて神戸が高田に派遣された。
三根山藩は、長岡藩の支藩として同盟軍の要請に応じて派兵した。しかし5月19日の長岡城が落城すると兵はすぐに帰藩し、藩は新政府に帰順の道を探ろうとした。
5月20日、神戸は自ら与板藩に使いし、与板藩に新政府に取り成しを依頼したが、与板藩からはあやふやな返事しか得られなかった。
5月21日、庄内藩兵が三根山を通過した際、三根山藩が新政府軍側に帰順しようとしていることを知り威嚇し出兵を迫った。三根山藩はやむなく半小隊を出し、庄内軍と行動を共にし、野積、寺泊、出雲崎と戦闘が繰り返される。
5月27日に与板で戦闘が始まると、神戸は出雲崎の新政府軍に出向き、帰順を嘆願した。しかし、出雲崎周辺でも同盟軍との交戦が行われたので、神戸は、その目的を達することができず、総督府は、帰藩させると斬殺される恐れがあると、神戸を高田藩に預けた。
その後同盟軍が中越地方から駆逐され、三根山藩が帰順すると、8月16日神戸は帰藩し、庄内口出兵の指揮に当たった。
8月26日には羽越国境岩石村で庄内兵と激戦している。9月3日には藩地へ凱旋した。
戊辰戦争後は大参事となり、藩政を担当し、廃藩後は茶の栽培・製塩などの殖産に努力するが失敗する。
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