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荻田本繁(おぎた もとしげ)

寛永17年(1640年) - 元禄14年(1701年)4月8日

寛文6年(1666年)、父・長磐が越後高田地震により死去したため家督を継ぎ、高田藩家老・糸魚川城代(1万4千石)となる。地震後、藩主松平光長の命を受け、地震で倒壊した高田城二の丸の瓢箪島の修復工事を行ったが失敗。筆頭家老の小栗美作正矩(1万7千石)が代わって完成させたため、面目を失った本繁は、正矩を敵視するようになった。
越後騒動で、小栗美作守と対立した氷見長良と本繁は将軍綱吉による裁定で八丈島に流罪と処罰された。
元禄12年(1699年)、八丈島では潮風をかぶったために穀物が不作となり、翌年も塩害で全く収穫が得られなかった。そのため二人は飢え、元禄14年(1701年)4月5日にまず長良が餓死し、4月8日、本繁も後を追うように餓死した。